■ デビューまでの経緯
つんくさんのプロデューサーとしての手腕を買ってDDIからCM曲の依頼があり、1999年4月からのオンエアに間に合わせるために経験&実力を重視した「つんくプロデュース芸能人新ユニット」オーディションが始まったのは1998年11月。まず16人が選ばれ、つんくさんとの面接の結果、候補者は8人にしぼられました。「サンフラン」と「シスコムーン」(どちらも命名はつんくさん)の2つのユニットに分かれてサンフランシスコでの40日間の合宿生活を経験。厳しいレッスン、メンバー・シャッフルを経て、稲葉、小湊、信田が合格。次いでRuRuが合格。1999年2月21日にユニット名「太陽とシスコムーン」というユニット名が決まりました(命名は勿論つんくさん)。アトランタ(稲葉)、デトロイト(小湊)、メンフィス(信田)、シカゴ(RuRu)で3週間それぞれが個人レッスンに励んだ後、4月21日にデビューが決定。4人は帰国の翌日にはもうレコーディングに入るという強行スケジュールにもめげず、大奮闘!
彼女たちにはデビューシングル(first trackがDDIのCM曲)がオリコンシングルチャートで初登場6位以内に入らなければ消滅!というハードルが架せられていたのですが、見事初登場4位という余裕の成績で「太陽とシスコムーン」は存続が決定したのです。
■ その後の紆余曲折
存続決定後、なんと1999年6月から毎月連続4枚のシングルをリリースするという計画が決定した太陽とシスコムーン。そして、常にオリコンチャート上位に名前を連ね連続リリース終了。これはすごい! そしてプロデューサーも素晴らしい!
しかし、彼女たちの飛躍を考え「年末の次のシングルは4人ではなく3人で再スタート」ということが決まりました。彼女たちは思い出の地、サンフランシスコで初心に帰ってレッスンに励みます。帰国後、学園祭やイベントでその実力を存分に見せてくれましたが・・・。結局次のシングルは、稲葉、篠田、ルルの3人でリリースすることが決定。
いずれにしろ、実力者ばかりの集まり、再び4人で大活躍してくれるものと期待します。
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